人の心は、思いのほか単純なところがあります。まずは、扱い易いところから。「怒りを癒す」プログラム付

わがまま心の癒し旅

過ぎ去ったことには、こだわらない。変えることがないのだから。未来のことにも、こだわらない。まだ来ていないのだから。
はじめての方はとかげ「もくじ」から
過去ログには「苦しみを喜びに」
お勧め記事は「山登り」
こちらもお勧め「お手軽ヨーガ」
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旅の空の下で2‐命の輝き:高度5250m
 あの夜のことは忘れない。

チベットの高地を自転車で走り、高度5250m、チベットで一番高度を上げた日のことだった。高度5000mで空気の濃度は地上の半分以下、明らかに酸素が少ない。空気のありがたさが身にしみる。韓国の旅友キョンとその峠に立ったのが午後の4時すき。晩秋のチベットはあと1時間と少しで暗くなる。

 ようやくの思いで峠に立ったけれども、私は正直息苦しさが限界だった。頭が締め付けられ、意識モーロー状態。500m高度を下げれば、だいぶましになるはずだ。


こんな地獄の峠はすぐにあとにしたい。

自転車にまたがれば、すべてが下り坂。500mぐらいの高度はすぐに下げれる。自転車にまたがり、峠をくだると5分ほどで道路整備の宿舎が見えた。


あと一時間で日が落ちる。


時間がない!


もう少し高度を下げたかったが、この先民家があるとは限らない。今晩はここに泊めてもらえるように頼んだ。すぐに寝床をつくり始めた。宿舎には電気はない。日が暮れたら真っ暗になるだからだ。

峠を下っても、

そこは高度約4900m。

こんな高度で寝るのは初めての体験だった。

食事は、非常食のビスケットと干しぶどうを胃袋に押し込んだ。

外はどっぷりと日が暮れて、三日月が夜を照らし始めた。
その日は、いままで一番苦しい道のりに思えた。

すぐに寝袋にくるまると

体にまるで余裕がない。


いたわるように体を横にした。

とにかく息が苦しい。心臓の音がドッキン、ドッキンとうるさい。頭にしめつけがきつい。気が遠くなるなるのをどうすることもできない。


隣ではキョンがすでに横になって呼吸を荒立てて苦しそうにしている。元気そうに見えていたのだが、苦しいの私だけではないことを知った。揺すって意識を確認するが、手当てはできない。手当は、夜中自転車にまたがって高度を下げるしかないのだから。



「あぁ、明日はもう訪れないかも知れない」

自然とそんなことを考えていた。

肉体がぎりぎりのところまで追いつめられていたのだろう。

目を閉じると、一所懸命に燃えている自分の魂がありありと胸の表面のところで輝いているのを実感した。

今にも、肉体から飛び出しそうな勢いがある。

輝く命があり、生かしてもっらていることをそのまま実感できた。

それを素直に感謝する自分がいた。



メラメラと燃えあがるこの魂をもうしばらく燃やしたい。

ただ命の炎をしばらく燃やすこと、それだけが唯一の望みに思えた。

それだけで十分過ぎるように感じた。

チベットの道 峠
高度5250mの峠を下る(翌朝目覚めると、ふたりとも高度順応をしていた)

人は見聞を広めるために、知識を得るために、旅に出るという。

本当の旅の醍醐味は、無いものを得るのではない。


あるはずのものを失うことのほうが、ずっと鮮烈に記憶に残る。

魂がメラメラと輝きだすのは、日常を捨てて、肉体を限界までイジメてはじめて起こる。

未知の領域に自分を追いやる。楽しみとはまるで逆の方向だ。


苦しい、ひもじい、しんどい、痛いを一杯、体に抱え込む。

そこから得るものは、


「何ものにも代え難い体験」が待っている。

少しの見識深めて、知識を増やしたところで、人は輝かない。


あるはずのもの、


食事、水、空気、そして命を失いかけると不思議と命が輝きはじめる。


チベット 峠
高度5250m付近
| 旅の空の下で | 16:37 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
苦しみを喜びに8ー不夜城と南国ぼけ
 インド3ヶ月の旅を終えて、関西空港に降りたちました。日本の街はインドの街とは正反対。なにもかもがキラキラと輝いていました。

 高速道路を空港バスに揺られて40分、大阪のオフィス街が目に入ります。夜の9時過ぎ、かなりのオフィスで明かりがともっていました。

「こんな遅くまで、何を仕事するこがあるのだろう?」

 一部を除けばインドでは、夜の街はほぼ暗がりに近いのです。働いているのは、宿屋と飯屋と一部のタクシーぐらい。街は薄暗く、働く姿はあまり見当たりません。そんな国から帰国したばかりでは、オフィスの明かりをランランと照らして仕事をしている様子が、異様に思えたのです。

「待てよ」

ちょっと前の自分を振り返ってみました。

「そういえば、3ヶ月前までオレも夜11時まで働いてたっけ!」

そんなことを思い出し、納得している自分にあきれてしまう。

なぜこんなに違いがあるのだろう? 

本当の自分はどちらなんだろう?

中之島
中之島(大阪に行ってきました)

昔、職場での会話を思い出しました。

「アイツは、サウジが長すぎて、南国ボケだからね」

南国に3年ぐらい働きに行くと、人は南国ボケとなって帰ってくるという。日本では使いものならなくなってしまうらしい。

「アイツ、やる気がゼンゼンないんだ。人生をあきらめている感じだなー。廃人同様だよ」

その言葉を思い出し、頭の中をぐるぐるとめぐらしていました。

「そうすると、オレは3ヶ月で廃人となってしまったのか?」

「日本では使いものにならないかも知れない!」

「どうしょう?」

 ーーーーーーーーーーーーー

それからはや、5年

インド3ヶ月で廃人になった男はつぶやくのです。

もう、人生の半分、うだうだで終ってしまった。

あとの半分もうだうだで終るであろう。

ならば、どうしてアクセクすることがあろうか。

ならば、どうして何かにしがみ付くことがあろうか。

そう考えると、肩の荷がどーと降りたようにな解放感がありました。

梅田
梅田の街

久しぶりに、昔のお偉いさんを訪ねました。

「オレのハンコひとつで300億が動くんだーぁ ガァハッハッー!」

かつて連れて行ってもらった飲み屋での言葉を思い出しました。飲んだ勢いでのホラとはいえ、未熟なこころに突き刺さっていたのです。

それからたった10年! すっかり顔が変わっておられた。

「役職を退いたら、だーれも遊びに来てくれんでなぁ」

その後ろ姿がひと回り小さくなっておられました。
| 苦しみを喜びに | 19:10 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP